テクスト研究学会

Japan Society of Text Studies

 

HOME | 大会情報


テクスト研究学会第20回大会プログラム

※プログラムのPDF版はこちらからご覧になることができます(特別講演で扱われる『ケルズの書』の画像の一部も掲載されています)。

日時:2020(令和28月28日(金)10:5017:00(受付:10時20分から)
会場:京都女子大学 J校舎3階J302教室(控室:J301教室)
    〒605-8501 京都府京都市東山区今熊野北日吉町35   Tel. 075-531-7030(代)
    アクセス:京阪「清水五条」駅・「七条」駅から徒歩約15分
    JR・近鉄「京都」駅から京都市バス(206)で「馬町」下車、徒歩5分
    阪急「京都河原町」駅から京都市バス(207)で「馬町」下車、徒歩5分
    プリンセスライン(https://princessline.jp/princesslinebus/)も出ています。
    (京都駅・四条河原町から京都女子大学前まで、J校舎まで徒歩5分)

 
◇受  付:10:20~ (J302教室付近のホールで)
◇開会の辞:10:50~ (J302教室)・・・・・・・・ 井上 義夫(会長・一橋大学名誉教授)
研究発表:午前の部(J302教室)➀② 11:00~12:00(各発表時間:20分、質疑応答:10分)

司会:吉村 耕治(関西外大名誉教授)

① 11:00~  ワイルドの童話作品における読者対象―「幸福な王子」を中心に―       

森元 奈菜(武庫川女子大学(院))


司会:武田美保子(京都女子大学名誉教授)

② 11:30~  Julian BarnesのThe Sense of an Endingにおける信頼できない語り手と記憶

                                                福本 菜々美(武庫川女子大学(院)

  
昼食・休憩12:0013:00

研究発表:午後の部(J302教室)③~⑤ 13:00~14:30(各発表時間:20分、質疑応答:10分)

司会:玉井 暲(武庫川女子大学教授)

③ 13:00~  『テクストの快楽』における倒錯的主体―テクスト理論をめぐって―

石井 咲(学習院大学(院))


司会:井上 義夫(一橋大学名誉教授)

⑥ 13:30~  『灯台へ』におけるラムジー夫人のショールのはたらき

                        押田 昊子(日本女子大学学術研究員)


司会:井上 義夫(一橋大学名誉教授)

14:00~ D.H.ロレンス『息子と恋人』における他者性と視点の問題

高畑 悠介(埼玉大学教養学部准教授)


  休憩14:3014:50

◇特別講演 14:5016:30(J302教室(10分+講演60分、質疑応答:30分)
  14:50~15:00 講師の紹介&『ケルズの書』の特徴・・・司会:吉村 耕治(関西外大名誉教授)
  15:00~16:00 特別講演:「アイルランドの至宝『ケルズの書』の精神と魅力について」

講師:萩原美佐枝 氏(『ケルズの書―復元模写及び色彩と図像の考察―』の著者)

  16:00~16:30 質疑応答
〔講演要旨:『ケルズの書』はAD800年前後にアイルランドで製作された聖書。ヒエロニムスの訳したラテン語の使徒行伝。美しい色彩で描かれた装飾ページには非常に不思議なデザインが随所に見られ、古くから注目されている。模写をして解った「秘められた謎」についてお話します。〕


総  会 16:35(J302教室)
閉会の辞 16:55~(J302教室)・・・・・・・ 玉井 暲(副会長・武庫川女子大学教授)
*発表者・大会参加者の控室としては、J301教室をご利用ください。
※昼食については、大学構内の食堂、及びバス停の近くのコンビニが、ご利用いただけます。
*マスクの着用など、新型コロナ感染拡大防止対策を講じて、ご出席をお願い申し上げます。
※第20回大会では新型コロナ感染拡大防止のため、懇親会を開催しないことにしました。
*問い合わせ先:テクスト研究学会事務局(吉村耕治E-mail: textstudies1[数字の1]@2525.zaq.jp)



【発表要旨】
◇研究発表要旨
①ワイルドの童話作品における読者対象―「幸福な王子」を中心に―

森元 奈菜(武庫川女子大学(院))

 代表作である『ドリアン・グレイの肖像』から浮かび上がるオスカー・ワイルド(Oscar Wilde, 1854-1900)は、当時のイギリスを代表する唯美主義者であり、芸術家のイメージが強い。その一方でワイルドは、生涯で2冊の童話集を出版している。しかし、ワイルドが、子供を対象とした読み物を創作していたという事実は少し意外に感じる。童話とは児童文学を意味し、子どものために書かれた空想的な物語を指す。子どもを対象とした読み物なら、作者の伝えたいメッセージは理解しやすいものであることが前提だろう。しかし、ワイルドの童話では、子どもがそのメッセージ性を読み解くことは難しく、単純に子どもを対象とした読み物だとは思えない。そこで、ワイルドがどのような読者を対象としたのかついて検証を進めたい。本発表では、1888年に出版された『幸福な王子、そのほかの物語』、特に「幸福な王子」を主な対象とする。この物語の設定にはリアリズム的要素が感じられる。実際的で周りからの評判を得たい市会議員、月がほしいと泣く子供を叱りつける母親、子供の夢を否定する数学の先生などが現実の物質主義や唯物主義の体現者として描かれているということは明らかである。このような価値観はヴィクトリア朝において顕著だったに違いない。また、童話に関する先行研究では、童話はその時代の風潮を反映していることを明らかにしている。しかし、物語の中で、これらの登場人物らが肯定的に描かれているとは考えにくい。むしろ、否定的なのではないだろうか。この観点から、童話という児童文学を意味するジャンルではあるのだが、その対象はリアリズム観を持っていた読者を想定したものではないか検討したい。本発表では、当時の社会的文化的背景を考慮に入れ、その読者対象について論じる。さらに、物語は反リアリズム主義者であったワイルドが社会風刺的な意味を込めて描いたものなのかについて考えてみたい。

②Julian BarnesのThe Sense of an Endingにおける信頼できない語り手と記憶

福本 菜々美(武庫川女子大学(院))

  The Sense of an EndingはJulian Barnesによって書かれた十一作目の長編小説で、彼はこの作品によってブッカー賞を受賞している。第一部では主人公Tony Websterの学生時代の出来事が中心に語られ、第二部はトニー引退後の現在、かつての恋人、Veronicaの母親がTony Websterに遺産を遺したことを知らせる手紙が届くところから物語が展開していく。本作品における語り手は第一部、第二部とも一貫して主人公Tony Websterであり、作品全体がTony Websterだけの視点から語られている。本発表では、この主人公Tony Websterの語りに着目し、彼が信頼できない語り手たりうることを明らかにすると同時に、この信頼できない語り手という技法とこの小説のテーマの一つである記憶との関係性を考察していく。Tony Websterが信頼できない語り手であると考えるために重要なのは、物語の冒頭から見せる彼自身が語る過去の出来事に対しての懐疑的な態度とTony Webster自身も把握している平和主義に似た自己防衛的性格である。前者は引退後に近い視点から語る第一部、そして第二部においても一貫して見られる態度だが、後者については第一部ですでに語った出来事を、時を経て、Tony Webster自身の考えで再分析することが出来る第二部の方が色濃く表れているように思われる。The Sense of an Endingが記憶をテーマの一つとしていることは、この小説が発表された当初から認識されていた。本作のテーマと考えられるものは記憶だけにとどまらず、老化や後悔など複数あると考えられているが、本発表では記憶という一つのテーマに限定し、この記憶というものが本作でどのようにテーマ付けされているのかを物語中に登場する二本の川への着目と共に分析を進める。Julian Barnesは小説を書く際に多様な技法を採用してきたが、本作においてこの記憶というテーマを扱うにあたって、信頼できない語り手という技法が選択された意味を考えてみたい。
 
③『テクストの快楽』における倒錯的主体―テクスト理論をめぐって―

石井 咲(学習院大学(院))

 ロラン・バルト(Roland Barthes, 1915-1980)は、「作者の死」(« La mort de l’auteur », 1968)において、19世紀の小説を例に挙げながら神の視点から書かれる「閉ざされた文学作品」を否定し、また、『S/Z』(1970)や「テクスト(の理論)」(« Texte [ theorie du ] », 1973)などにおいて、ジュリア・クリステヴァ(Julia Kristeva, 1941-)が提唱した「間テクスト性」や「シニフィアンス」などの概念を参照しながら、「開かれたテクスト」の理論化を図ったことで知られている。しかしながら、その同時期に出版された『テクストの快楽』(Le plaisir du texte, 1973)において、バルトはテクスト理論に賛同する一方、痛烈な批判も行なっており、その主張には一貫性がみられない。テクスト理論派の旗手とみなされてきたバルトのこうした矛盾点を指摘する研究は、いまだほとんどなされていないのが現状といえるだろう。というのも、『テクストの快楽』を対象にした従来の研究では、しばしば、そこにおいて述べられる「作者の回帰」と、前述した論考「作者の死」において共通する「主体としての作者」というテーマが重視され、主張を転換するというバルトそのものは等閑視されるきらいがあったのだ。とはいうものの、一度は殺した作者を復活させるというスキャンダラスな転回は、見方によれば、正反対の二つの視座から論じられるという点において、バルトのテクスト理論に対する姿勢にも共通しているとは考えられないだろうか。そこで本研究は、『テクストの快楽』を主な分析の対象に設定し、反目する考えを保持するバルトを「倒錯的主体」の観点から捉え直すことを目的とする。これにより、意見をめまぐるしく変えるバルトの企図の解明につながると考える。こうした文学的戦略を明らかにすることは、しばしば捉えどころがなく軽薄とみなされるロラン・バルトという作家像に迫るひとつの手立てになるだろう。 

④『灯台へ』におけるラムジー夫人のショールのはたらき

押田 昊子(日本女子大学学術研究員)

 本発表では、ヴァージニア・ウルフの『灯台へ(To the Lighthouse)』(1927)に描かれたショールに目を向け、主要登場人物であるラムジー夫人の造形を考察する。ショールは衣服と布地の中間に位置する存在である。衣服のように身体に密着するわけではないが、単なる布地とは違って身体の一部として持ち運ばれ移動する自由さを持っている。ウルフ作品における衣類の表現については近年様々な分析がなされているが、今回はそれらの議論を踏まえつつ、ショールの表現に光を当てることによって、それをまとうラムジー夫人の重層的かつ自由な生(life)を読み解きたい。ショールを扱う意義は、ウルフが衣服を描写する際に用いた「はおる、まとう(wrap)」などの言葉や、着替えの場面の例を挙げることによっても確認できる。風通しのよい動的なものとして描かれる衣服は、“Character in Fiction”(1924)で重視された「生それ自体(life itself)」の無限の広がりを暗示している。また、“Modern Fiction”(1925)で喩えられたように、うつろう生が「半透明の包膜(a semi-transparent envelope)」の内にあるとするならば、生はそこで息づきつつ、その外と隔絶することなく行き来するために、柔軟な仕切りを必要とするだろう。これらの効果は、衣服とも布地ともなりうるショールの中間的な性質によって、一層際立つものとなる。たとえば『灯台へ』第Ⅰ部の夕食の場面でラムジー夫人が身にまとうショールには、会食者ひとりひとりの活き活きとした個別の生を示唆しつつ、同時にその混ざり合いや一体感が生じる瞬間を描くという、ウルフの両義的な試みが色濃く反映されている。ショールは最終的に子ども部屋に置き去られるものの、ラムジー夫人の制約されない生を支えたこの服飾小物は、この世を去ってなお物語全体を秘かに行き来するラムジー夫人の生を示唆するものとして、『灯台へ』の読解に重要な役割を果たしているのである。

⑤ロレンス『息子と恋人』における他者性と視点の問題

高畑 悠介(埼玉大学教養学部准教授)

 D.H.ロレンスの『息子と恋人』についての議論は従来、作者の伝記的な要素との関りからの研究や精神分析的読解、フェミニズム的観点からの作品内容の批判的検討などが中心となり、その小説としての形式面に焦点を当てた研究は相対的に不十分な水準にとどまっている。本発表は、『息子と恋人』における視点の操作を論じることでその批評上の空白を埋めるとともに、ロレンス文学における他者性についての通説を批判的に再検討する。本作のミリアムの扱い方がアンフェアであることはしばしば指摘されており、ミリアムが抱えているとされる問題(肉体的な生を肯定できない臆病さ)がポールのそれの投影であることは半ば通説となりつつあるが、このミリアムに対する作品のアンフェアさは、彼女にまつわる視点の操作を吟味することによっても裏付けられる。ミリアムは主人公であるポールから見て他者性が際立つキャラクターとして設定されているが、彼女の内面描写は、初登場時から、その他者としての領域に対する語りの節度を軽んじる形でなされている。その後も、ポールの物語を語る中で都度的にミリアムの内面描写が挿入されるというパターンが繰り返され、ミリアムがポールの物語の従属物として扱われる様が観察できる。また、語り手とポールが読者のために用意するミリアム像から彼女が逸脱し、彼女の他者性が際立つ要の場面は、前述のミリアムの他者性を否定する本作の姿勢との齟齬から、違和感を与えるものとなっている。ポールから見て他者性が際立つもう一人のキャラクターであるクレアラについても、そのキャラクターとしての性質や役割におけるミリアムとの対照性から導かれる予想とは裏腹に、同様の現象を観察することができ、クレアラの他者性を際立たせるはずの急所の場面は、その前後関係を合わせて眺めるとき、額面通りに受容できないことが分かる。他者性が前景化されるはずのキャラクターの他者性を否定し、彼女たちを主人公の物語の従属物として扱う本作の姿勢は、バフチン的な他者の美学を体現したロレンス文学という通説とは逆に、ロレンス文学の中核に潜むナルシシズムを暗示していると言える。


◇特別講演の講師紹介と特別講演の要旨
① 『ケルズの書』の復元模写・研究者、萩原美佐枝氏の紹介及び『ケルズの書』の特徴

司会:吉村耕治(関西外大名誉教授)

 講師の萩原美佐枝氏は、真正の顔料や色を求めて、ヨーロッパや、ロシア、中国、アルメニアなどの各地を巡って調査されてきた本物重視の復元模写・研究者である。世界各地を巡って当時の色を集め、復元されている。2018年には、天然顔料のキリン血の樹木、キリンジュを訪ねて、アラビア半島のオマーンに旅をされた。樹木がない砂漠地帯を通り過ぎ、奥地にまで入っておられ、乳香(にゅうこう;フランキンセンス)の木、没薬(もつやく:ミルラ)の木、キリン血樹など、旧約聖書の世界で用いられていた顔料を調査されてきた。キリン血樹の塊や、染料や薬にする粉を求めることができたと伺っている。キリンジュという顔料は、中世からルネッサンス期に用いられた赤色の非常にきれいな絵の具である。『ケルズの書』(全680頁)は、800年頃に制作された聖書の写本(manuscript)で、その23頁に美しい色彩の細密画が描かれている。中世ヨーロッパのキリスト教芸術である『ケルズの書』の細密な幾何学的構造の図像や色調、その精神と魅力について解説していただく。150本にも及ぶ良質のセーブルの筆を使って復元模写をされており、右に収録されているカイローページを制作するのに、592時間もかかったそうです。中世の写本『ケルズの書』は、世界で一番美しいと言われ、世界で初めて『ケルズの書』の全装飾ページの復元を試みられたのが、萩原美佐枝氏である。細密の構造を解明しながら復元されたため、この写本に秘められた謎を解くことに成功し、それを世界に向けて書物で発表されている。古典顔料・染料の性質や、模写を通して発見された事柄をお話しいただきます。
参考図書:萩原美佐枝(2016)『ケルズの書―復元模写及び色彩と図像の考察―』東京:求龍道。


② アイルランドの至宝『ケルズの書』の精神と魅力について

萩原美佐枝 氏(『ケルズの書―復元模写及び色彩と図像の考察―』の著者)

 ケルト系の写本はAD600年頃から制作され、この『ケルズの書』の800年頃には収束して、この書物の後にはめぼしいものは殆どない。この写本は聖コロンバヌス(543-615)にゆかりの修道院で制作された。680頁あり、内容はヒエロニムスのラテン語訳の使徒行伝であるが、すべてを書写している訳ではない。この書物の多くの研究は、どの文章が省略されているとか抜けているなどという書誌学的な研究が多い。23頁ある装飾ページについての解説はあるが、図像を詳しく解説・解読している研究は殆どない。その理由は、装飾ページは黒ずんでいて、余程近づいてルーペでじっくり見ないと、図像が読み取れない。19世紀末までは貸し出されていて、手に取って見ることも、トレーシングペーパーで図像を写し取ることもできたようであるが、20世紀に入ってからは、一般の人々が手に取ることはできなくなった。トリニティーカレッジ図書館の学者以外触ることが許されず、研究もままならなかった写本である。1990年にスイスのファクシミリ社の実物大の完全復刻版が1500部印刷され、その内、300部が欧米の大きな図書館に収められたので、それらの図書館で手袋をつけて閲覧できるようになった。それからいくつかの論文が出版されて、この写本について学ぶことができるようになったのである。しかし図像の研究が少ないのは、装飾ページは黒ずみが激しく非常に読み取りにくい。最近は全頁インターネットで公開配信されているので、誰でも拡大してすべてのページを見ることができる。図像の研究も増えるであろう。私の考察の中で多くの個所は新しい発見であると思う。特に全頁に「トリニティー(三位一体)」がちりばめられているということでさえ解っていなかった。この「トリニティー」は聖コロンバヌスの教議の主要概念であったのでは、と最近ヨーロッパの研究者が言い始めている。「トリニティー」がこの写本にどのようにちりばめられているか、また他にも謎が秘められている不思議な図像についてお話します。

inserted by FC2 system